2016年4月4日(月)

友もすなる日記といふものを、私もしてみむとてすなり。

日記に何度チャレンジし、そして三日坊主におわったか、数え切れない。

だけど、最後に「日記だけは書くまい」と決心したときのことは覚えている。

大学の二回生の夏、わたしは失恋をした。

そしてその失恋の気分をひきずったまま、高田とつきあいはじめた。

高田はもともと友人で、そのとき別のことでかなり傷ついていて、

なぜか私になぐさめられているようだった。

高田はモテるタイプなうえに、意外とさびしがりやだったから、彼女が途切れることはなかったけれど、私のことは本当に好きだったと思う。

だから大事に、慎重に扱うべきだったのだ。

そのとき日記をはじめたのは、高田にすすめられたからだった。

どういう理由ですすめてきたのかは忘れてしまった。

すすめられるままに私は無印のノートを買い、日記をつけはじめた。

大学生で、一人暮らしをはじめたばかりで、暇だったから、そこそこ真面目に書いていたのだと思う。

失恋の相手の部屋をたずねて食べ物を分け与えたこと、インドカレーとバラの花束で高田に二十歳を祝ってもらいながら、失恋相手と過ごした十九の砂浜を思い出したこと、そんなことを思いつくまま書いていたのだと思う。

ある日、大学の友人の衿元さんと昼ごはんを食べていると、高田から携帯に電話があって、今から行ってもいいか、という。

衿元さんは高田のランチ参加をあまり快く思わなさそうだったから、私は拒否し、高田はもう一度、どうしても今すぐに会いたいのだと言った。

そのあとどういうタイミングで高田に会ったのかは覚えていないけど、高田は目もうつろで、憔悴しきっているみたいに見えて、本当に小さい声で、私の日記を見たのだと言って、もっと小さい声で、見たらいけなかった、みたいなことを言った。

それでもなぜか私と高田は別れる、という結論には達しなかった。どういう話をしたのかは忘れたけど、高田はたぶん本当に私のことが好きだったし、私は単に日記を盗み見た高田が悪い、みたいなことを思っていたんじゃないかと思う。

私と高田は結局二年とか三年とか、ときどき別れたりしながらもつづいた。でも、高田の中に、もう私からは離れたところで、傷が残っているのはわかって、高田が私への愛情(とよんでいいと思う、けど不思議だ)と信じきれなさとで同居させているのも感じていて、それはそれで私にとってもなかなかきびしい状況で、最後は一年も留学してるくせに全然英語が話せないとか意味がわからん、とか、うんこを漏らすとかついていけない、とかそういうどうでもいい理由で、直接的にはそういう理由を口にしたけど、結局は私は横暴で、高田は傷つきやすかった、ということだと思う。

 

そういうことで、高田が見たらいけないものなら作らないほうがいい、と思って日記は書かないことにした。

 

でもたしかにとりあえず何か書きたい、という気持ちになることはあり、こういう形式ならば高田や高田的な人が見つけることもなかろう、ということで、してみむとてすなり。

 

といいつつ、誰かが読むことを前提としたような文章になってしまって、これは本当に日記なのだろうか。